なぜ下関とフグなのか?

下関ってどこ?どんな街?


なぜ下関とフグなのか?

美味しい魚には毒がある

「バラにトゲ」の例えのように、高級魚フグは猛毒で自らをガードしている。しかし、それでも食べたいという人間の欲には限度がない。

縄文時代から食べられていた痕跡があるが、バタバタと人が死んでいく。豊臣秀吉が見かねてフグ食禁止令を出したが、明治に入ってからはさらに厳しく法が制定された。でも、下関ではこっそり食べていた。美味しいから、食べたかったの。業の深い下関の民はフグの毒に当たらない調理法をすでに身につけていたからである。たまたま伊藤博文が下関滞在の際、フグを食べさせてみたところ、これが受けた。その美味さに驚き、「いいじゃないか」ということで、下関に全国で初めてフグを出せる店ができた。

美味しいものは法律も変える。

美味しい魚には毒がある
高級すぎて食べられない

下関駅に降り立てば、フグのモニュメントが迎えてくれるし、市場でも街中の飲食店でもフグの看板だらけという印象を受けるほど。

ところがその看板の店でフグを市民が盛んに食べているというわけではない。実態は豪華なフグセットのほとんどは贈答用に全国に送られる。一般の市民が日常的に口に入れられる値段ではないのである。一年に一度食べるかどうか、祝い事でもなければその機会はない。残念ながらフグと下関市民とのつながりは希薄化しており、「高くて、美味しい」フグは地元でも高嶺の花。このままでは「知っているけど、食べたことのない魚」になってしまう。

状況を変えなければ。
そう、下関が変えなくて、誰がやる!

高級すぎて食べられない
全世界的に海に変化が起きている

温暖化による海洋環境の変化は世界的、全国的に起きており、毎年全世界、日本の港で魚が取れなくなった、あるいは取れる魚が変わってしまったというニュースが話題となっている。それらのニュースに一喜一憂することはやむを得ないが、今考えなければならないことはこの変化にどう対応していくかである。全国で新たな取り組みが始まっているが、下関もこのチャレンジに応えることが求められている。いや、チャレンジするのだ。

これまでフグに関しては下関の関係者の間ではトラフグだけにしか目が向いていなかった、市民も他に食べられるフグがあることについては無頓着で、そんなことを全然知らなかった。まあ、これからだ。

全世界的に海に変化が起きている
サバフグの夜が明けよる

シロサバフグ、クロサバフグ、一般的に両者をまとめてサバフグと呼ぶが、市内の料理店のメニューに乗ることはまずなかったし、おそらくあえて食べようという人もいなかったはず。トラフグ天下だもん。

獲れてはいるが、食べてはいない。ではどこに姿を消したのか。港に揚げても値がつかないため、加工工場に消えていったのである。

トラフグという高級魚の漁獲量が減っていても、美味しく食べられるはずのサバフグが顧みられなかったという事実は大きなインパクトがある。サバフグだけではない。日本には22種類の食用ふぐがあり、トラフグ以外はその価値を過小評価されてきた。そこを逆手にとり、活かし、美味しく食べることで、下関市民、また全国でフグを味わっていた人たちが、フグに限らず海に対する知識を新たにし、今後何をすべきかを考える絶好の機会にすることが私たちの使命。

やらねば。

サバフグの夜が明けよる

下関ってどこ?どんな街?

歴史について

本州の最西端に位置し、九州との距離は最短箇所ではわずか600mしかなく、初めて関門海峡を目にする人はその近さに驚く。しかも、ただ近いだけではなく、潮の流れが急な上、1日に4回流れの方向が変わり、普段から渦が多く発生する特殊な海峡でもある。

山陰道、山陽道が交わり、九州、また大陸、朝鮮半島に近いこともあり、交通の要所として栄え、歴史的出来事には事欠かない。

源氏に追い詰められた平家滅亡の地でもあり、幕末には尊王攘夷に駆られた長州藩士による4国艦隊への砲撃で、逆に上陸され軍事施設は壊滅。その結果、事実上攘夷を放棄し、討幕へと舵を切ることになるという近代日本を語る上で欠かせない下関戦争のあった場所でもある。
日本海、瀬戸内海に接している上、かつて大洋漁業の本社があったことから水産業が盛んで、捕鯨の街としても知られていた。しかし、捕鯨は調査捕鯨に縮小され、国内消費も大きく減ったことから、下関はフグの街へと舵を切り、再興を果たした。

歴史的にも産業的にも常に渦の中にあり、日本の変化のきっかけの地となった下関はトラフグの漁獲量、取扱量が減少していく中、再度自らを渦の中に置くことで、新たな変化にチャレンジするのだ。

歴史について