ふくと下関
ふぐの本場として知られる下関の歴史をたどる、ミニコラムです。
おいしい魚には毒がある
高級魚ふぐは、猛毒で自らをガードしています。ふぐは縄文時代から食べられていた痕跡がありますが、食べると死に至る魚。豊臣秀吉が見かねてふぐ食禁止令を出し、明治には厳しい法が制定されました。それでも、既にふぐの毒に当たらない調理法を身につけていた下関の民は、こっそり食べていたのです。伊藤博文が下関でふぐを食してそのおいしさに驚き、下関に全国で初めてふぐを出せる店ができました。美味なるものは、法律をも変えるのですね。
ふくと海の変化のとき
地球温暖化による海水温の上昇で、下関ではトラフグの漁獲量が減っています。日本には22種類の食用ふぐがいますが、ふぐといえばトラフグで、他のふぐはその価値を過小評価され、加工品としてしか扱われませんでした。また、近年は漁場が移動し、さまざまな種類のふぐが入り混じることで、毒がどの部位にあるのか不明な雑種のふぐが生まれるなど、新たな問題も起きています。状況が変化するいま、従来は料理店のメニューに乗ることのなかった天然ふぐにも目を向け、おいしく食べることで海の現状を知り、何をすべきかを考えるきっかけにしていきたいものです。
下関は歴史の変わり目の地
下関は本州の最西端に位置し、九州との最短距離はわずか600m。関門海峡は潮の流れが急な上、1日に4回も流れの方向が変わり、渦が多く発生する特殊な海です。日本海、瀬戸内海に面して九州、中国大陸や朝鮮半島に近く、山陰道と山陽道が交わる交通の要所として古くから栄えてきました。
歴史的には、源氏に追い詰められた平家滅亡の地であり、幕末には尊王攘夷に駆られた長州藩士が4国艦隊への砲撃から討幕へと舵を切った下関戦争の舞台にもなりました。
このように、歴史的に日本の変化のきっかけとなってきた下関。いま、ふぐを取り巻く海洋の変化をしっかり見つめ、この課題に挑んでいきます。